Smiley face
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俳優の奥山佳恵さんの次男美良生(みらい)さん。取材後は地域の盆踊りへ。生まれて初めて言った言葉は「カンパイ」。「いつも上機嫌で、生まれながらのパリピなんです」=2025年7月19日、神奈川県藤沢市、田渕紫織撮影
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 2016年7月26日に相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で利用者19人が殺害された事件から、9年が経った。ダウン症の次男・美良生(みらい)さん(13)と暮らす俳優の奥山佳恵さんが、事件に衝撃を受けてからの9年間を振り返った。

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 ――やまゆり園事件の当時、美良生さんは4歳でした。

 仕事中、待機していた車内でニュースを見ました。入所者の親の気持ちになって、私たちの大切な子どもたちが否定された思いになりました。

 美良生が生まれた後にダウン症とわかった時の不安と、その後実際に子育てをしてみてわかった現実とのギャップを共有したくて、講演をし始めていた矢先のことでした。世の中の本音を見た気がして、恐ろしかったです。

事件4日後に献花に向かうと

 ――どこに「本音」を感じましたか。

 植松聖死刑囚の「障害者は生きている価値がない」という考え方を非難する声が圧倒的に多いだろうと思っていたら、目に入るSNSの投稿では、植松死刑囚の背中を押す声も少なくなかった。つらくなるので追わないようにしていました。

 ちょうど、(妊婦の血液からおなかの赤ちゃんの染色体異常の有無を調べる)新型出生前検査が広まった頃でもありました。胎児の染色体疾患がわかって「サヨナラする」人が9割、という報道もありました。

 夫と「じっとしていられないね」と言って事件から4日後、美良生も連れて現場に献花に行きました。行く道々は緑が豊かで、周辺の素晴らしい風景と、黄色いテープで囲まれた施設の中で起きたこととのギャップに打ちのめされました。

 車いすに乗った子どもを連れた家族ともすれ違いました。山のように積まれた花々に強い思いを感じました。

 障害のある人が外に出られて、街にいることを当たり前の風景にしないといけないと改めて思いました。

中学進学で悩み、休業

 ――そのためには……。

 環境の整備が必要です。美良生は小学校で普通級に進みましたが、就学前に知り合えた先生方が選択肢を示してくれていなかったら、そんな道があることも知りませんでした。

 勉強が苦手で馬鹿にされたらどうしよう、存在を否定されたらどうしようとおそるおそる入学したら、想像を超えた光景が見られました。

 家に友達が15人近く遊びに来るようになって、体力差のある美良生に合わせてドッジボールや鬼ごっこの新ルールをすぐに作っては遊んでいました。同級生たちにとっては幼く感じるカルタ遊びを美良生がやりたがった時も、美良生の比較的不明瞭な言葉を一生懸命聞き取って「難しい!」「何言ってるか分かった!」とのめり込んでくれた。

 障害という概念がない子どものうちに出会ったら、その人自身を見て付き合うんだと知りました。大人たちの世界も、混ざり合って生きていける環境であってほしい。

 ――昨春、美良生さんが中学に進学した際には、普通級ではなく支援級に入ったことを公表し、「咀嚼(そしゃく)するには時間を要します」として、しばらく仕事をお休みされていました。

 地域の中学校の通常級に進学しようとした時、校長先生から、美良生をフォローしてくれる人材を見つけてもらえたら安心と言われました。見つけて提案したものの、環境や待遇の面で折り合いがつきませんでした。

 どこでなら、本当に共に生きることができるんだろうと、模索する時間が必要でした。

「できる」「できない」に分けた先は

 ――この先の懸念はありますか。

 街の中でダウン症の子どもは見かけても、ダウン症の大人の姿をあまりお見かけしないことが気になっています。未来が見えない。支援級はあっても「支援社会」がないんじゃないかと不安です。

 でも、永遠に「健常者」でいられる人はとても限られると思います。老眼鏡も車いすも使わずにずっと生きていけるでしょうか。

 人を「できる」と「できない」に分けると、必ず自分にしっぺ返しが来ます。誰かに「あなたはできないから社会に不必要」と言ったら、いずれは自分も言われます。分けている場合ではない。

 ――人を「分ける」考えは、根強いです。

 「よかれと思って分けた。その方がそれぞれ生きやすい」という言葉や考え方の根底の一つに、「怖い」という感情があるのでしょう。私にも覚えがあります。

 美良生を産んだ後にダウン症とわかった時は、「友人も遠ざかり、仕事もできず、家の中はぐちゃぐちゃになる」と思っていました。でも、実際に子育てを始めてみると、定型発達の長男の時よりもむしろ育てやすく、周囲にもこんなに受け入れてもらえるんだと拍子抜けしました。

補い合って生きたい

 ――事件から9年が経ち、社会は変わったでしょうか。

 残念ながら本質は変わっていないと思います。いま、同じ事件が起きたら、本当に驚きますか?

 どんな障害や病気があっても「生きている」だけで価値を見いだせるようにならなければ、行き着く先は、誰にとっても生きにくい社会です。完璧な人間なんていないのだから、補い合って生きていきたいです。

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